この度、2022年2月7日ごろより、弊社従業員を装った第三者からの不審メールが複数の方へ発信されている事実を確認いたしました。 この報告から、マルウェア‥‥
まん延防止等重点措置による、食事処の営業時間等の変更について
1月27日からのまん延防止等重点措置適用に伴い、 館内食事処「餐房 閑 」の営業時間を下記の通り変更させていただきます。 ご来館のお客様へは大変ご不便を‥‥
日本第一神霊泉 温湯 有馬
世界唯一無比 60km下の上部マントルから
600万年前に日本列島の下に沈み込んだ海水の成分を含んだ湯が湧く
科学雑誌natureにも掲載された 世界一 不思議な温泉
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湧くはずのない所に 湧くはずのない湯が湧く 有馬温泉
泉源にある説明のプレートをご覧頂くと100℃近い湯が地下200mぐらいの所から湧いている事が記載されています。
泉源の標高は約400m。つまり六甲山の標高200mの所から100℃の湯が湧いている事になります。
でも六甲山は火山ではありません。
それどころか、近畿地方に火山は無いのです。
湧くはずのない湯とは標高200mの所から、神戸港の塩分濃度よりも濃い塩分濃度の湯が湧いています。
その湯はヘリウム3を含んでいる事から地球の上部マントルの成分を含んだ湯だと証明できます。
これが湧くはずのない湯です。
その湯を活かす事を、御所坊のサービスの基本に置いています。温泉
温故八百星霜
鎌倉期創業 御所坊800年の歴史
日本一 歴史の有る温泉地 有馬
その歴史を活かす事が、有馬で一番歴史の有る宿の務めだと考えています。
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温泉守護 - 湯口屋
有馬温泉は日本の神々により発見されました。やがて寺院仏閣が建てられ、公家が温泉を管理しました。これが800年前、御所坊が「湯口屋」として始まったきっかけでした。温泉の周りには人々が集まり、これを守り、次の世代に繋げていこうという思いで、様々なものが作られました。ここには、有馬の湯に対する感謝の思いが、この地の家族の日々の仕事と、おもてなしの妙を通して、脈々と受け継がれた場所であるのです。
歴史
1926年 熊本県で生まれる。 1936年頃 父親の転勤で現在の拠点である神戸に住む。 1938年 森永製菓主催で行われた「日独伊親善交換図画作品募集」に、小‥‥
真 金 不 鍍
純金にはメッキをしない様に 常に純金の様に本物でありたい
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古 情 伝 心
【有馬の温泉街の中心の歴史的建造物の宿】
好みの違いはあるかもしれませんが、その国の伝統的な建築様式の歴史あるホテルや建物は魅力的だと思います。
有馬の温泉街の中心の歴史的建造物の宿。
その国の伝統的な建築様式の歴史の有るホテルは魅力的です。
現在、温泉街の「湯本坂」は、狭い曲がりくねった坂道が人気で、内外の多くのお客様が来られています。
もし、御所坊が古い建物を活かす事をしなかったら、このような街は出来ていなかったと思います。
現在は、御所坊を含めた周辺の木造三階建の建物群を登録有形文化財にしようと動いています。木造三階群の整備が整えば、有馬温泉は世界的に魅力のある温泉地になると確信しています。御所坊はその動きを牽引しています。
【テーマは谷崎潤一郎】
関東大震災を期に関西に移住した谷崎潤一郎は、昭和十一年(1936年)に発表した小説「猫と庄造と二人のをんな」の中に御所坊を登場させました。
そこで陰翳から滲み出る日本の美を愛した谷崎に合うよう、間接照明を取り入れ、電球色の温かい灯りに包まれた館内をつくりあげました。
各部屋のディスプレーとして谷崎や吉川英治などの歴史上の人物の記念の品を各部屋に展示しています。
【無方案の空間展開】(方はサンズイ辺に方です)
御所坊全体の空間をコーディネートしてもらっているのは「無方庵」の号を持つ、綿貫宏介氏。
御所坊の看板類。館内装飾。書・軸・絵画。食器や備品。浴衣やアメニティー類等多岐にわたっています。
そして氏は日本酒。茶。ワイン。菓子等の会社の装飾を手掛けており、それらの品は、御所坊の空間形成の一つとなっています。
施設
おもちゃのボードゲームの紹介ですが、AI時代にコンピューターに使われる人間ではなく、使いこなす人間になる為の「21世紀型スキル」を身につけるおもちゃ‥‥
遊 味 楽 旬
御所坊創設 鎌倉期に源流を置く
素朴・野趣溢れる 山家料理
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御所坊 山家料理
有馬温泉は歴史を通して恵まれてきました。山海の食材は豊富で、天皇や将軍の休養に訪れ、最も早く西洋文化に触れた温泉地でした。この歴史的経緯から特異な地域料理が育まれました。鎌倉期に端を発する私たちの山家料理が誕生しました。
「融通無碍」
昨今では、スペイン等の諸外国に見られる最先端機器を導入して、一味違う料理を提供しようとしています。
食
無 用 乃 用
老子道教無用の第十一章に出てくる言葉
一見無用に見えるモノこそ重要
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應 物 無 方
絵画、彫刻、陶芸、建築、篆刻、茶など幅広い領域を横断し創作活動を展開する綿貫宏介(1926年~)。
「無方庵(方はサンズイに方)」と名付けられたその世界観は、製作、デザイン、プロデュースなど、ものに応じて形態を様々に取りながら、唯一無二の趣を湛え続けている。
無方とは、物事に囚われないさま、融通無碍のこと、荘子の南華真経にある「應物無方」に由来する。ものづくり
1926年 熊本県で生まれる。 1936年頃 父親の転勤で現在の拠点である神戸に住む。 1938年 森永製菓主催で行われた「日独伊親善交換図画作品募集」に、小‥‥
ものづくり
1926年 熊本県で生まれる。 1936年頃 父親の転勤で現在の拠点である神戸に住む。 1938年 森永製菓主催で行われた「日独伊親善交換図画作品募集」に、小‥‥